僕がポール・マッカートニーのライヴに行かない理由

2014年、ポール・マッカートニーが昨年秋に来て、再び5月にやってくる。

ポールは昔、来日時に麻薬の不法所持を咎められ、拘置所に入れられたあげくに、ライヴを強制キャンセルさせられたという出来事がある。ファンの間では苦い思い出として有名な逸話だが、Frozen Japという曲はその時の記憶から書かれたものだと言われる。

その上、ベジタリアンにとって、生の魚を食う日本人はとても信じられないという旨の発言をしているし、ひたすら仲の悪いオノヨーコは日本人であるし、とかく「ポール・マッカートニーは日本が嫌いである」というのが、限りなく事実に近いところなんじゃかと僕なんかは思っていた。

そこでこの急遽決定した連続の来日である。まったく仰天という他ないという感じなのだが、僕は結局二度とも観に行くことはなさそうな感じだ。別に金をケチっているわけではない。

11年前、Hello Goodbyeで幕を開けたGet Backツアーは観に行って、20列目ぐらいで堪能したが、さすがにあの伝説の男が眼前で歌っているのが最初信じられず、息を飲んで夢中で見続けたもんである。

もちろんライヴは完全に堪能して、14,000円のチケット代が高かったとは全く思わない素晴らしい体験だった。が、ひとつの思いが去来した。

「ビートルズの曲が多すぎないか?」

 

ポールがビートルズ後期にライブの再開を訴えても、メンバーは誰一人取り合わなかった。そのライヴへの欲求がライヴバンドとしてのウイングスを生み、その最高潮が「Over America」の頃である、というのはファンなら誰しも認めるところだろう。実際、このライヴ盤に込められたエネルギーは、後々にロックの名ライヴ盤として語られるいくつものバンドのそれに比べて全くひけをとらない。

この頃のポールは世間的に貼られた「元ビートルズのポール・マッカートニー」というイメージに真っ向から反発していて、その反骨心こそが凄まじいエネルギーの原動力になったと言っても言い過ぎじゃないと思う。

当たり前ながらビートルズの曲もほとんどライヴではやっておらず、「The Long & Winding Road」とか「Blackbird」とか「Yesterday」なんて、もうソロ曲みたいなもんだし、特に「The Long & Winding Road」は、フィル・スペクターのアレンジを「これは俺のと違う」と言う気まんまんなやり方だし、ビートルズとは違う、現在の自分の新天地を高らかにアピールしている感じが何とも心地よい。

ところが、90年代にもなってくると、その辺の態度にも明らかな軟化が見られる。「Tripping the Live Fantastic」というライヴ盤は僕も末永く愛聴させてもらってるが、随分とビートルズの曲が多い。ほぼ半数がビートルズという雰囲気だ。最大の相棒でもあったジョン・レノンの死を乗り越えて十年、心境の変化はない方がおかしい。

しかし、これを今とつなげる懐古主義の始まりと捉えるには少し違う気がする。このアルバム自体半分がビートルズであり、実際の当時のセットリストもそんなもんだったのだろう。

当時50歳ぐらいのポールにすれば、それでもビートルズ偏重なのは否めないが、「Fool on the Hill」における、大人数のバンドを一体にさせるような素敵なアレンジ、「今の技術だから出来る」と言ってようやくライヴに取り入れた「Eleanor Rigby」とか「Got to Get You Into My Life」…、当時なりの新しい試みが目に付くし、何しろまだ当時の新曲をガンガン演っている。もちろん「Imagine」や「Strawberry Fields Forever」なんか歌ってはいない。

ここ10年ほどだろうか。ライヴでジョンやジョージの曲をやるようになり、文字通りセットリストがビートルズ一色になってきた。気まぐれでたまに「Mrs.Vandebilt」とか「Rock Show」とかやってはいるが、大本の姿勢は完全に懐古主義そのものだ。

ビートルズ以後の曲で取り上げるナンバーは決まり切ってしまって、「Tag of War」から「Fleming Pie」ぐらいまでのアルバムはもはや無かったかのようになっている。特に来日時のセットリストは全くそんな感じなのである。調べてはいないが、大半の国で似たようなセットリストになっているんじゃないかと思う。

ビートルズってポールにとっては何だったのだろうか。実家みたいなもんだろうか。嫌で嫌でたまらず逃げ出した実家に、年老いてから帰るとそこにはもう誰もいない…なんてシチュエーションはよく本や映画のテーマになる話だが、元ビートルズも、もうリンゴしか生きていないのである。昔に皆でスタジオで作り上げた曲をいま大観衆の前でやることで、ポール自身は思い出と対話しているのかもしれない。

ジョージが死に、リンダが死に、自分と思い出をともに築いてきた人々が逝くのを見ていくのは誰しも身を切られるほど辛いものだし、もう突っ張っている必要も全くない年齢でもある。

オリンピック開会式で「Hey Jude」を歌ったときにも思ったが、世間からのイメージである「元ビートルズのポール」をあるがままに自然と受け入れている。これは大多数のファンが望むことでもあるだろうし、ようやくにしてそれを純粋に楽しむことが出来ているのかもしれない。

ビートルズ・アンソロジーの映像を見ると、ポールはこう言っている。

「辛いこともたくさんあったけど、楽しいことしか覚えていないよ」

これこそがポールにとってのビートルズなんじゃないだろうか。

 

ただ、僕みたいなウイングス時代も含め、後追いで全て聴いてしまったファンは思うのである。

「もう一度あの熱いポールが見たい」と。

天才と言えど既に70を過ぎて、とうに不可能なのはわかっている。この歳でステージに立って絶唱すること自体が奇跡であることもわかっている。てもそう望んでしまうのだ。

ジョンのいない「Eight Days A Week」には、僕はないものをねだりをしているような儚さを覚えてしまう。僕が今のポールを観に行こうと思わない理由はそこにある。