04 私の私学入試





何の変哲もなく、全然入試の一環として考えられないセンター試験が終わり、2週間後には私学の試験がある。僕は2大学4学部だけしか受けていなかったので、合計4回、2回同じ大学に行った。まずは2月1日、いやいや朝早く起きて、カイロを腹に貼って出かけた。僕は、朝早く起きるとよくお腹をこわすという、まったくクソ不便な虚弱体質であるため、お腹にはより一層の注意を怠ってはならないのだ。家の前のバス停、行きのバスからして大した人の多さである。


 コレがみんな受験生か、と思うと実に変な気分である。JRに乗ったときには、はやくも行くのがイヤになってきた。人が多すぎる。僕はこの時点で、受かるかどうかも分からぬのに、この大学に行くのは辞めた方がいいのでは…とか思いだしていた。やがて阪急電車に乗る。前に行ったからよく覚えてるぜ、とか得意になってホームを見渡すと、駅員が突然しゃべりだした。「●●大学の入学試験へいらっしゃるかたは●番線の…」 


 …本当にまえもってキャンパス見学などをして、無駄な電車賃を費やした。かなり後悔した。しかし何という人の多さであろう。この程度の電車にこれほどの人が入るとは。


 僕はこの試験一発で電車がどれほど儲かるのか、吊革を掴みながらしきりに計算していた。そのうちに着き、駅から歩くと、こんどは学生住宅の宣伝のチラシ配り屋が、駅から大学に渡って延々列になっている。学校まで数百メートルの間全てである。梅田にいるチラシ配り屋を全て動員したのではないか、とすら思えた。コース沿いにひたすら集まっているマラソンのギャラリーみたいだ。僕は要らぬ情報を手渡されることのないよう、ポケットに手を突っ込んで、人の波の中をそそくさと歩きまくった。


 やがて大きい道が開けてくる。その中には「●●予備校のみんな、頑張れ」やら、●●塾のみなさん、悔いを残さず!」やら、予備校の連中が大きい字の書かれた大きい布を掲げている。そして行き交う人全てに「頑張って下さい!」である。コレには参った。後で親に言うと、ごく当たり前のことであるそうだが、このときは初めてだったため、非常にびっくりしたのだ。やがて大学に着いた。大学に着くまでで、思えばかなり無駄な精神力を使った。コレだから面白い。


 そしてテスト本番、テストを行う前の写真照合がコレまた面白い。本当に試験監督が写真と現物を交互に覗きながら、一人一人確認していくのだ。


 僕は写真撮影時よりも髪がかなり伸びていたため、大丈夫かと少し心配したが、これは杞憂に終わった。これなら双子で変わり身ができるなぁ、と要らぬ事を想像するうちにテストが始まった。1限は英語、2限国語、3限世界史であったが、僕は世界史がマニアの域に達していたため、実際テストは2限までを真面目にやればよく、後は適当に終わらせた。これが明日もあると思うとすでにうんざりしたが、文句も言ってられぬ。

 さっさとかえってギターでも弾くか、と思いたってから、人混みを歩いて大学の外に出た。すると、なんと、人、人人…。一斉に試験が終わる故に、これはごく当たり前ではあったが、卒倒しそうなほどの人の多さである。いっぺんに1万人が大学の門から出るのである。コレを見て、一万人でこれか…と思うと同時に、赤壁の戦いで焼け溺れ死んだ人の数を想像して心が痛んだ。


 駅まで、数倍の時間をかけてようやく戻った末、やはり受験生帰宅ラッシュだと思って、来た電車に乗ったが、そうでもないので安心した。

 しかし、電車の中で2人の女の子が妙な紙をもって、落ちたとか、わめいている。

 よく見ると、さっきまで自分が一生懸命鉛筆を握って凝視していた問題の答えである。僕はびっくりするよりも呆れた。いったい誰がこんなモンを作成したのか、無論、どこぞの予備校に決まっているが、まったくなんて暇なことをするもんだ。と心底思っていた。家へ帰っては、ギターを弾いて適当に過ごして寝た。明日も試験がある。

 次の日、昨日と同じようにカイロを貼って家を出た。同じ大学だったので、もはや何も驚きはしない。さあどんと来い、という気の持ちようである。すると1限の英語の時間「この単語わからんなぁ」と最後の英作文で考え込んでいると、さあやってきたと言わんばかりに予兆が次々と腹に響いてくる。まるで地震が来る前の、あの不気味極まりない大地を揺るがす轟音のように。


 恐怖の腹痛到来である。後少しなんだ頑張ってくれェ、と嘆願する。もはや答案など眼中にない。数分間ねばってみるも、とうとう僕は耐えきれなくなり、手を挙げてトイレに行きたい旨を監督のおっさんに伝えた。監督のおっさんはしぶしぶ僕を外へつれだし、トイレの個室の前で待っていた。


 ちなみに、この試験は昨日見たような顔が混ざっており、また、どう見ても30代後半位の男もおり、直前まで机中に参考書をばらまいて必死で確認しまくっている者など、なかなか興味深いメンツであった。


 さて怒濤の腹痛から解放された僕は何事もなかったように普通に試験を終わらせた。そして、例の如くまた駅に行くまで人間の大河を泳ぐ事を潔しとせず、途中にある中古CD屋に駆け込んだ。案の定、CD屋では時の経つのも忘れ、1時間はその店内で、品を物色していた。結局ホワイトスネイクかなんかのCDを一枚購入して出たが、さっきまでいた人山は幻のように消え失せて、後には空しさが残るばかりであった。ちなみに、結局この学校には行かなかったので、この時もこのCDの方が僕の人生上で恩恵をもたらしてくれた、ということになる。


 夕日に照らされ、一人でさあ受験が終わった、と考えていた。
次は2月6日、7日に実は一応あった。そして国公立もまだ控えていたのだ。


 そして僕は2月6日に受かった学部に通うこととなった。。