チェスケー・ブディェヨヴィツェはビール醸造所があるとか、コヒノールという文房具会社の拠点があるとか、色々あるんですが、強行スケジュールのなか、なんとか広場を見るので精一杯でした。
チェスキー・クルムロフからプラハ行きのバスに乗って、そのまま直接プラハにもどらず、途中でいったん下車。
スーパーマーケット上のバス停に到着して後、そのまま建物の下に降りて少し地元のスーパーを探索。最上階にはフードコートとトイレがあって、フードコートには中華料理屋が入ってます。一番下は日本で見るスーパーとあまり変わらず。地下は広大な駐車場になっていて、駅とつながっているという具合。エレベーターは日本ではまず見かけない、斬新なほど古くさいボロボロの奴で、落ちるんじゃないかと思えるほどの代物。
ちなみに、初日にコンタクトレンズの保存ケースを間違えてホテルで捨てられてしまってたので、ここで換えを買おうかと思ったんですが、薬局を一通り見てもなさそうだったので、あきらめてペットボトルのふたでなんとか凌ぐことにしました。世界初のソフトコンタクトレンズの開発はチェコ。まさか無いわけはないんですが、売り場が日本と違うんでしょうね。「コンタクトレンズ チェコ」で検索掛けてみるとかなり色々ヒットします。興味ある方はどぞ。
さて、スーパーを出ると、それを背にしてぐんぐん地元のショッピングモールな通りを歩いていきます。休日だったのか、閉店してるとこが多かったですが、マクドとかちょっとだけ空いてる店も。
通りの入り口付近には、周りの建物に似合わぬモダンなデザインのガラス板。年号とこの街の統治者の名らしきものが並んでいます。さりげなく深い歴史を感じさせるのはヨーロッパならではか。日本も1000年以上の歴史がありますが、1500年代の統治者の名がさりげなく配されているなんてことは、まずありません。
10分ほど歩くと、世界最大級の正方形広場というプシェミスル・オタカル2世広場というのに出会います。ここに来るまでにも聖ミクラーシュ教会というごつい教会を横目に見ましたが、同名の教会がプラハにも2つあります。聖ミクラーシュはかなり歴史的にも大きい存在のよう。日本の八坂神社みたいなもんか…。
時間も体力もけっこう限界だったので、ここには短時間の滞在となりました。さすがの強行スケジュールゆえに致し方なし、という感じですが、黒塔にだけは登ってから帰ろう、という話になりました。
しかし、足を踏み入れたのはいいが、この黒塔、ビル4階分ほどの高さをすべて階段で登らなければなりません。もしも行く予定のある方は、体力のあるうちに登っておいた方がいいと思います。僕らはすでに体力的にはかなり消耗していたのでヒィヒィ言ってました。チケットは階段の途中に受付があります。ここの受付で働く人は毎日これを登ってこなければならんのか…。さぞ強靱な足腰になることでしょう。
帰りは世界の車窓からを味わおうと、プラハ行きの切符を買い、なかなか美味いホットドッグ(チェコ国内の至る所で見ました)を買って、駅で待機。来た電車に乗り込んで兄ちゃん一人のコンパートメントに入れてもらい、一路プラハを目指します。腕に漢字で「愛」とタトゥーを入れている兄ちゃん。一見ぶっきらぼうやけど、心は「愛」に溢れているのやも知れぬ、などと考える余裕もなく、疲れた身体を椅子に預けて、車窓から外を眺めながらゆらゆら。
車掌がやってきて切符を見せろ、というので、見せると、英語でなにやらわめいてます。こっちは英語圏じゃないんで…、もう少しゆっくりしゃべっていただけませんか…、とか言う暇もなく去っていってしまいました。切符に不備があったとかではなさそう。
隣の兄ちゃんがいぶかしげにこっちを見ている…「こいつら今の意味わかってないんじゃ…」という目でしたが、実にするどい、その通りなのだ。
しかし、ここから今回の旅行最大のアクシデントに見舞われたのです。
ほっとけばプラハに着くだろう、と思って過ぎゆく風景を眺めていると、途中の駅で大量の客が降車。なんか変だな、と思ってると、さっきの愛に溢れた兄ちゃんがぶっきらぼうに「we need to go out.」とおっしゃる。今度ははっきり聞き取れたので、急いで降りると、大量に乗客が駅前のバスに乗り込んでいる。ここはターボル駅。
途中で強制下車させられたのは、スメタナの交響詩「我が祖国」にも登場するあのターボルなのでありました。旅行前の計画段階では訪れる場所の候補にも入れていたものの、時間が取れず諦めた場所。よもやこんな形で降りることになろうとは。急いでバスに乗り込もうとするものの、大量に停車しているバスのどれに乗って良いかさっぱりです。運転手に「Praha?」と聞いて回ります。4人目ぐらいで、入れ、と手招きされたので、ざっと乗り込んで最後部の座席に潜り込みました。いやいや、一安心。
再び田舎の田園風景を北上。この風景もすっかり見慣れてきたなあ、とぼーっとして我がスーツケースの待つプラハ・フローレンツバスターミナルを目指す、はずだった。
田舎の街並みを見てると、その田舎の街並みのなかにあるバス停に入り、そのまま停車。誰か降りるんかいな、と思ってたら、なんと全員が降りてしまった。あわてて群衆に続く。まだあるのか!とさすがに思いました。妙なところで降ろされて、どこなのかまったくわからないのです。
そばにいたバスの関係者らしき人に「プラハへ行きたい」と言ってみると、なにやら説明されましたが、ひょっとしたらドイツ語かチェコ語だったのかもしれず、さっぱりわかりませんでした。わからん顔をしてると、とうとう業を煮やした体で、手招きして着いてこいという。なんだか目の前にある重厚なドアを開け、暗い建物のなかに入ったと思ったら、その奥をくぐり抜ける。するとなんと電車の駅のホームが!もう何がなにやらさっぱりですが、とりあえず時刻を見ると、プラハ行きはあと2分ぐらいで発車予定。急いで向こうのホームまで渡ると、電車に乗り込みました。
案の定というか電車は定刻になど発車せず、10分ぐらい待機したのち発車。去り際にベネショフという駅であることをかすかに確認できたのみでした。
理由はよくわからないですが、何らかの理由で運転ストップしてたのは確実です。電車の止まってたターボル−ベネショフ間をバスで振り替えていたという感じでしょうか。
重厚なドアのあった内部の暗い建物はベネショフ駅舎か。少し離れて建物を俯瞰すれば駅舎であることなど一目でわかったのかも知れませんが、夕刻の暗い時間帯に、建物の目の前にバスで停車されるとそれさえもわからなかったんですね。それにしても、まだバスで振り替えていただけマシで、ヨーロッパにはそんなことをしない、いい加減な国鉄も結構ありそうです。
乗った電車は特急だったのか、途中の駅には目もくれず、プラハまで一直線。ひた走る電車から見えた美しい夕陽はこの日の疲れを吹き飛ばしてくれました。
どれぐらい乗っていたのか…、平野が広がる田園風景から、徐々に落書きされた建物が増えていき、「プラハ・フラヴニー・ナードラジー」というアナウンスが聞こえて、到着間近であることを悟ります。やっと帰ってこれたなー、と胸をなでおろした瞬間でした。チェコ滞在の4日目はこのアクシデントのおかげで、特に強く印象に残る一日になったのでした。